東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.2

「怒っている患者」の演技は可能?

日下隼人 患者さんはどうして怒っているのでしょう。それはきっと一般化できることではないのです。怒りが生まれてくるところには、いろいろな思いが錯綜していることでしょう。怒りはきわめて個別的なことであり、現在の事態という後にも先にもない一回きりの状況の中にいる、そしてほかの誰でもないその人に起きている特別なことです。怒りには、その人のそれまでのさまざまな思い(個人史)、今回のさまざまな状況が絡み合って生まれてきます。「腹が立ったから、許せないから、怒ろう」という場合もあるにはありますが、むしろそのようにはっきりと意識化できないもやもやした思いの渦巻きが急に大きくなって、当人もその渦に飲み込まれているような状況が怒りではないでしょうか。「怒り」の感情があって、それを整理して、怒りの言葉で表現するのではないはずです。感情と言葉は同時に起こり、むしろ言葉が感情を増幅させます。怒りは、相手との関わりや自分の言葉を通して増幅もしますし、沈静化もします。沈静化は、具体的な場で、一定の経験と権限をもった人が、その立場を踏まえて真剣に対応しなければ起きません。怒りもその解消もその人の全存在的なことであり、一般化できないきわめて個的なことです。 つまり、もともと怒りは(たとえ自分自身に似たような経験があったとしても)演技できるようなことではありません。当然、怒りを沈静化させることもsimulationでできることではないのです。 患者さんが怒ってしまった原因を見つめることは大事ですが、怒りを鎮めることを目的にした演習を行っていると、表層的な人間関係が身につきそうです。背景もなしに話し合うことで模擬患者の怒りが静まったとすれば、絵空事であるという印象しか残さないでしょう。「こんな風にすれば、うまくいく」なんて思われても困ります。「うそっぽい」演習で身につくものには、根っこがないものだけです。

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