東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.207

夜の病棟で

日下隼人     40年も前のことです。消灯時間を過ぎた病棟のラウンジや病室で、母親たちの「井戸端会議」に私はよく引き入れられていました(喜んで入っていったというほうが事実に近い)。長い入院を余儀なくされた重い病気の子どもの母親たちが多かったので、いつの間にかそんな付き合いになっていました。「まあ、お茶でも飲んでいきなさいよ」「そんなに早く帰ったってしかたないでしょ。デートなの? デートなんていつでもできるわよ」などと言われて。「どうして医者になったの」「それで思った通りのことができているの」と尋ねられることもありましたし、「先生はもう少し世間を知らなくちゃね」と言われたりもしました。明るい母親たちの陽気な話の中の「くよくよしたって始まらないわよ」「入院して他の人の経験できないことを身につけるんだ」といった言葉に、私は言葉の奥の心に思いを巡らしていました。(「子どもの病む世界で」から。一部改変)
    談笑に準夜勤務の看護師が加わることもありました。最近では2交代勤務のところが多くなったようですが、二昔前までは3交代制の看護勤務が普通でした。16時から24時までの準夜勤務で、消灯時間を過ぎてからの少し「手の空く」時間帯はエアーポケットのようで、子どもと静かに遊ぶ看護師や子どもや母親と話し込む看護師を見ることは決して珍しくありませんでした。昼間とは全く違う子どもの姿がそこにありましたし、泣いている子どもから意外な言葉を耳にすることもありました。
    今のタイムスケジュールに追われた勤務の中でも、あのような時間は息づいていてくれるでしょうか。先日、ある看護大学での会合で、教員や実習病院の看護部長たちとお話したところ、みんなが若い時に同じような経験をしていて、そして、現状に対して同じ懸念を抱いていました。
    私は、夜の病棟での会話からたくさんのことを教えてもらいました。もし、不器用な私が研究をしていたら、きっと雑談に長い時間をとることはできなかったでしょう(私と違って、どちらもできる優秀な先生たちはたくさんおられます)。私にとっては、あの時間がなければ今のような考えに辿りついていなかったと思います。母親たちが私の先生でした。今でも患者さんに話しかける言葉の中に、夜の病棟で聞いた言葉が生きていることに気づくことがあります。それは、その言葉の中に、幼くして亡くなった子どもたちが生きているということでもあります。あの夜の光景を思い出すたびに、もう一度そこに戻ってみたいといつも思ってしまうのですが、もう今の私は20代の私のように学ぶことはできないでしょう。それでも戻ってみたくなるのは、私が彼女たちに「温かく」包まれていたからでしょう、「良い医者になってね」という願いとともに。

    医療面接演習の場面で、「難しい患者」「怒り出す患者」「医療者の指示通りに行動しない患者」「医療者を操作しようとする患者」「がん告知場面」などがadvanced演習として行われることがあります。でも、こういうコミュニケーション教育からは、患者さんを「体と心を提供してくれる先生」と受け止める姿勢や患者さんへの敬意は身につかないのではないでしょうか。教える方法によって、伝わるものは異なってしまうのです。それではadvanced演習ではなくdegenerated演習でしかありません。
    技術的演習として工夫を重ねれば重ねるほど、医療の場における「患者−医師関係」の権力性が隠蔽されてしまい、臨床倫理を考えることが難しくなってしまいます(この1文は、馬渕浩二「貧困の倫理学」(平凡社新書)から示唆を受けました)。 (2015.06)

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