No.21
「先生は冷たい」
医者になってまもなく、私は悪性腫瘍の子供たちを何人も受け持つことになりました。そのころ何度か、子供のお母さんから「先生は冷たい」と言われました。言われるたびにショックに陥っていたかというとそうでもなかったのですが、気にはなりました。でも、私はその後でもさほど付き合い方を変えた記憶が無いのですが、子供が亡くなった後に何度か「話したい」と私を訪ねてくださったのも、そう言って下さったお母さんたちでした。今考えてみると、私は、お母さんの「治療者への依存」が強くなりそうになったときに、無意識のうちにそれを感じて、早めにちょっと突き放していたのではないかと思います。
私たちは、良いコミュニケーションが良い医療を産むとしばしば言います。それはその通りなのですが、時には「逆効果」となることがあることもきちんとお話しておくべきだと思います。良いコミュニケーションによってホッとした人は、その相手にもっともっと頼りたくなります。「過度の依存」です。医療者としては、相手の人が頼ってくれるとついうれしくなりがちですが、相手の依存をどんどん受け入れていくと、すべてに応えられるはずがないのですから、いつかは耐えられなくてその依存を拒むことになります。拒んだとき、「甘い顔をしていると、どんどん付け上がって」と思う医療者と「やさしそうな顔をしているくせに、いざとなったら手のひらを返したように冷たくなって」と思う患者との対立が残ります。コミュニケーションが良ければ良い人間関係が生まれるとは限らないのです。むしろ「危うさ」を抱え込むと言うべきでしょう。依存、退行、自我防衛、転移と逆転移・・・・、人と人との心の動きについての知識がないと、相手の人と付き合うことが難しくなり、その結果その人を支えることができなくなります。
私は、そうなる手前で「冷たく」していたようです。「それはお母さんの問題ですね」「僕は役に立たないと思いますよ」「お母さん、それでどうしたいの」「先のことはわかりませんよ」なんて言っていた記憶があります(最近では、こんなふうに言いっぱなしにすることは無くなりました)。「心の動きについての知識」を勉強したのは、もっと後になってからでした。
でも、「冷たい」と感じてもらい、その上で「あなたは冷たいよ」を言ってもらえる程度の「距離」だったことがちょうど良かったのではないかとも、今では思っています。コミュニケーションのお話で、一番伝えにくいのもこの「距離のとり方」です。そのためには、その場の「空気を読む」ことが欠かせないのですが、KYが流行りの時代なのですから。