東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.216

Expert と Profession

日下隼人     Professionという言葉が医学教育の世界でよく語られるのですが、Expertとどこが違うのかは私にはよくわかっていません。医師の資質・能力としてのプロフェッショナリズムについて、医学教育学会のプロフェッショナリズム委員会では「医師個人、あるいは、組織やチームの一員として、患者中心の医療の実践をはじめとする社会的使命を果たすため、常に社会からの信頼に値する行動をとり、日々省察を重ねて、更なる高みを目指す姿勢を示す」として、以下の7つを挙げています(学会ホームページから)。

1.社会に対する使命感と責任感
    医師は、医師免許に託された社会的使命を自覚し、また公的な社会資源と多くの人の無償の支援を受けて育成されたことを認識して、社会のニーズとその変化に目をむけて診療実践と学習を続け、同僚や後進を支援する。

2.患者中心の医療の実践
    さまざまな人間関係や感情を持ち、経済的・文化的な活動も行う個人として患者に共感し、思いやり、自律性を尊重して支援する。

3.誠実さと公正性の発揮
    社会人としての礼節や法令遵守はもとより、医師としての誠実さや公正性を示す。

4.多様な価値観の理解と基本的価値観の共有
    さまざまな価値観を持つ人々の存在を受容し、異なる価値観の理解に努めると共に、医師としての基本的価値観を理解していただけるよう努力し、共有できた価値観に基づいて医療を実践する。

5.組織やチームのリーダー/メンバーとしての役割
    組織やチームのメンバーやリーダーとして、様々な医師や他の職種、患者やその家族と適切なコミュニケーションを通じて良好な関係を構築し、連携して、より効果的・効率的に使命を果たす。

6.卓越性の追求と生涯学習
    自らを振り返り、他からのフィードバックを受け容れ、情報を批判的に吟味しながら学習して行動変容するとともに、積極的に知を共有し、医療の質の向上と医学の進歩に貢献する努力を不断に続ける。

7.自己管理とキャリア形成
    生涯を通じて社会的使命に貢献するため、自らの健康や時間を管理し、様々な医師としての働き方と自分の適性を知って自分が目指す方向性を考え、ライフイベントも考慮しながら進む道筋を描きつつも、状況の変化に応じて柔軟に対応できる力を身につける。

D.T.Sterm右のD.T.Stermの図も有名です。
(参考までに)

    この7項目は、多くの言説を踏まえて委員会としてわかりやすくまとめられていると思います。このような文章が、どうしても「優等生的」なものとなり、少し「お役人的」な匂いがすることは仕方ないでしょう(私もこれまで幾度となくこのような文章を書き、「鬱陶しい」と言われたことがありますので、批判的に言っているわけではありません)。
    でも、医者や医学生にしてみれば、「そんなことは、もうちゃんとしている、知っている」と思う人も、「うるさいな」「ぜんぶなんかできっこない」「専門のことをちゃんとするだけで手一杯だ」「大学の先生もしていないじゃないか」などと思う人もいるでしょう。
    患者さんにしてみれば、「そうだ、そうだ。こういう教育をしてくれないと困る」と思う人がいるでしょう。でも、「医療の世界はいまさらこのようなことをあらためて言わなければならないのか」と驚く人もいるかもしれません。自分の仕事を「プロフェッショナル」として「特別に重要な仕事」のように言う人の存在に鼻白む人もいそうです。「何を偉そうに」「ご立派ですね」と反発する人もいる、というよりほとんどの人は多少なりともそのように感じると思います。
    もちろん、Professionだという意識に自らの矜持が支えられることが医師にはあります。でも、その思いは心に秘めて、Expert=「職人気質を持ち」「良い隣人として生きる」姿勢で患者さんとお付き合いしていくというのではだめでしょうか。
    先だって、母校の小児科同窓会で医療倫理についてお話しする機会がありましたので、次のようなことをお話ししました。
    「小児科医師は、『善き社会人を育てる』人であると同時に『子どもが一人の人間として尊重される社会を作る』人であってほしい。だから、小児科医として、少子高齢化社会、格差社会、南北格差、エネルギー問題、平和の問題といった社会のことについて自分の考えを持ち、その中で医療をとらえ返すことも出来る人であってほしい。研究をするときには、『研究が無数の実験動物の命を奪うことで成り立っていること』『難しい病気の研究にかける費用はありふれた病気にかかる多数の人を助ける研究や援助にかかる費用よりもずっと多いということ(10:90の法則) 』『ヘイトスピーチを黙認していることは人種差別を認めることであり、731部隊が行ったような人体実験に鈍感な医者になる途であること』『薬品や医療機器の企業とのつきあいに甘いことは、研究不正とドア一枚の近さであること』といったことにも目配りのできる医師であってほしい」と。若い人に「…であってほしい」と言うような年寄りは胡散臭いという批判は覚悟の上でお話ししました。
    「科学者の大部分は、自己の生との対決を怖れて科学に没頭しているのである。彼らは明晰な頭脳ではない。周知のように、彼らがあらゆる具体的な状況に対し鈍感なのはそのためである」(オルテガ・イ・ガセット「大衆の反逆」)という状況がますます進んでいることをこの1年痛感させられています。

    鷲田清一さんは「『教養』とは、一つの問題に対して必要ないくつもの思考の補助線を立てることができるということである。いいかえると、問題を複眼で見ること、いくつもの異なる視点から問題を照射することができるということである。・・・・専門知というものは、それが適用される現場で、いつでも棚上げにできる用意がなければ、プロの知とは言えない。・・・現場にいる人の不安や訴えの中でも自身の判断をいったん括弧に入れ、問題をさらに聴きなおすこと、別の判断と摺り合わせたうえでときにそれを優先させることもしなければならない。ここでは、『この点からは』『あの点からは』という複雑性の増大にしっかり耐えうるような知性の肺活量が必要となる」と言います(「パラレルな知性」晶文社)。
    プロフェッショナルとは、自分の専門領域の外側へ視野を広げることができ、その外側の視点から自分のしている仕事を「たいしたことをしているわけではない」「間違っているかもしれない」と相対化できる人のことではないかと私は思います。このような視点がないところでは、患者さんの身になることはできませんし、「腑に落ちる説明」をすることもできないと思います。このような姿勢を持つことを含めてExpertと言っても何も問題が無いような気がしますが・・・。 (2015.09)

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