東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.220

「患者のために」?

日下隼人     いくつかの研究会で「看護師は(医師と違って)いつも患者のために、患者の視点で考えていますので・・・・」と看護師が言うのを耳にすることがあり、そのたびに私は少し鼻白んでしまいました。こういう言い方って、最近の流行りなのでしょうか。
    確かに医者に「患者の視点」を期待することは、もしかしたら、医学の急速な「進歩」や「グローバル化と称されている事態の変化」に伴って益々難しくなってきているのではないかという気がします。今までも、長く医療の場に身を置いてきて、若い医師がだんだん「患者の視点」を失っていくのを見続けてきました。「患者のために」という思いは、医者になったころには誰もが持ち続けています。でも、医者というポジションで仕事をつづけ、専門知識が身につくのと比例して、目の前の患者さんにとっての病む意味から自分の行うべきことを問うという姿勢は保ちにくくなります。他人事ではなく、私自身もそのような人生を生きてきました。
    もう医者のことは諦めるしかないのでしょうか。でも、目の前にいる病む人とのつきあいが続く限り、病む人から医師に向けられたまなざしがある限り、「患者の視点」が医師から完全に消滅することはありません。消滅しているように見えても、底流としてそこには生き続けています。そのことは、看護師と医師とで違いがないと思います。「医者と違って」という言い方は、せっかくの(かろうじて残っている)回路を拒みます。「あなたと私たちは違う」という言葉は、回路を切らさないようにしようと思っている人の意志をいくらか阻喪させます。
    若い人たちがきっと良いところを持っていると信じて、そこに向かって伝えたい自分の想いを込めた言葉を丁寧に贈ることが教育です。若い人の力を信じることができなければ、教育に関わることは楽しくないでしょう。楽しくない人から教育された人が、その教育者の想いを受け取ることもないでしょう。 もちろんこの「楽しさ」は、上から目線で人にお説教する「楽しさ」とは正反対のものです。

    それに、「いつも患者のために、患者の視点で考えています」と言われたら、患者にとってはいささか鬱陶しくないでしょうか。「あなたのために、あなたに良いように考えている」と言われることの、逆らうことも難しい圧迫感。しばしば親はこのような言葉で子どもを支配します。テレビドラマで「自分の夢は、自分の娘だった」という父親がいましたが、このような言葉が子どもに投げかけられたら、それは呪縛でしかありません。このようなことを言う親は、子どものためよりは自分のために言っていることの方が多い。そして、その言葉を錦の御旗にして、自分でも「子どものため」に言っていると信じているので、自分のしていることを問いません(問うことが回避されています)。思いがあればあるほど、事態は恐ろしいものになりかねません。
    「患者のために」と言っている看護師が、些細なことで患者を非難する事態もこのようにして生まれるのかもしれません。「いつも患者のために、患者の視点で考えようとしている。でもそれは、いつも多少なりとも的外れの可能性があり、余計なお節介の可能性がある」というところからケアを考えるようにしていると言っても、患者さんへの思いは伝わる気がするのですが。(2015.10)

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