東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.221

神でもないのに

日下隼人     暑い時期なのにリクルートスーツを着て街中を歩いている若い人たちを見ると、2012年まで研修医の採用面接をしていたことが思い出され、いまだに申しわけない気がしてしまいます。「頑張ってね」と声をかけたいけれど、かければただの「ヘンなオジサン」なので黙っています(あたりまえですね)。募集要項に「面接に際してはリクルートスーツを着用しないこと」と書いてみたい気持ちに何度も襲われましたが、余計なストレスをかけるだけですし、若い人たちのファッションを評価する自信もまったくなかったので、書かずじまいでした。
    面接した人のことをすべて覚えているわけではありませんが、それでも「(あんなに武蔵野に来たがっていたのに)マッチしなかった彼はどうしているのだろう」とか「(とても来てほしかったのだけれど)当院を選ばなかった彼女はどうしているのだろう」などと、何人もの顔が浮かびます。講演で訪れた病院で再会することがあって、元気そうなところを見るとホッとします。
    採用試験をするということは、受験生が多い武蔵野の場合、ずいぶんたくさんの人に「あなたは不要」「あなたより良い人がいっぱいいる」「当院にはふさわしくない」というメッセージを伝えているわけです。「べつにマッチングなんてたいしたことない」と分かっていても、それまで順調な人生を歩んできた人の心に、傷を残してしまったかもしれません。誰もがどこかの病院で研修できるに決まっているマッチングですから、傷といっても「ささくれ」のようなものでしょうし、どこで初期臨床研修をしてもたいして差が生まれるわけではありませんから、それほど深刻なことではないのですが。
    研修医同士が結婚したり、研修医が武蔵野で出会った人と結婚することがあります。採用は試験者が話し合って決めたものですし、人生っていくつもの偶然が重なって展開するものだと思いますが、それでもいくらかは自分が人の結婚まで左右することに加担してしまった気がして、また複雑な気持ちになります。

    医者の仕事は、一人の人の「生き死に」に関わる診療方針を自分が決める仕事です。そのことに、「神でもないのに」と私はずっと耐えられない思いを抱いてきました。診療ガイドラインがあり、カンファレンスでみんなの知恵を集めて考えても、誰かにコンサルトしても、自分ひとりで決める部分が無くなるわけではありません。ちなみに、カンファレンスや回診で、当の患者さんのいないところで医師や医療スタッフのみで方針が決められ、「〇〇さんの治療について、みんなで検討して、このような治療をおすすめします」と説明されることは、そこに参加していない患者さんにとって不愉快なことではないでしょうか。この言葉は患者にとって逆らい難い。それは「暴力」の一種のような気がします。
    閑話休題、明日までこのまま様子を見ようといった「ちょっとしたこと」のすべてまで相談できるわけではありませんし、ガイドラインにも書いてありません。「薬を出そうか、やめておこうか」「検査を今日しておくか、明日でも良いか」といった日々の小さな一つ一つの決断がどれも命につながっていて、それは自分で決めていくしかありません。上司に相談しても、やっぱり自分の責任です。みんなで話し合った方針だとしても、その責任の少なくともある部分までは私が一人で負うべきものです。カンファレンスやガイドラインという集団の中に紛れ込んで身を潜めても、責任はきっと追いかけてきます、自分の心の中で。人の命を左右できてしまう「傲慢さ」は、医学的な正しさや誠実さによって免責されるわけではありません。この「傲慢さ」を気にしていては仕事にならないのですから、成長するとは鈍感になることです。そのうち鈍感になっていることにも気づかなくなります。

    1976年の映画「君よ憤怒の河を渉れ」で、無実の罪で追われた検事・杜丘冬人(高倉健が演じた)は、無実が証明されたラストシーンで「法律では裁けない罪や悪がある事を知った。二度と人を追う立ち場にはなりたくない」と言って、去っていきます。その「人を追う立場」という言葉に自分が責められている気がしました。今も。(2015.10)

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