東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.222

「問題患者」

日下隼人     「子どもはみんな問題児」という本があります。著者は「ぐりとぐら」「いやいやえん」などの童話を書いた中川季枝子さん。この言葉に倣って「患者はみんな問題患者」と考えれば、医療の世界はずいぶん違ってみえてくるはずです。
    子どもはオトナの思惑通りには動きませんし、わざとオトナを困らせるような行動をとります。それは、子どもの成長する力・生命力の発露であり、子どもからオトナへのコミュニケーションでもあります。オトナにとって「問題児」でない子どもには、きっと問題があります。子どもが敬愛すべき「問題児」と見えないオトナには、きっと問題があります。子どもが「問題児」に見えなければ、子どもと楽しくつきあおうことはできません。
    病気=人生の一大事の渦中にある人が医療者の思惑通りになるなどということはありえません。「患者とその家族は、恩知らずで、気まぐれで、偽善者で、尊大で、臆病で、自分勝手で、欲張りで、厚かましくて、けちで助平で馬鹿である」と言う人がいます(里見清一「医者と患者のコミュニケーション論」新潮社)。私を含めて人間はみんなそんなものです(とその人も言っています)。小田実流に言えば、みんな「チョボチョボ」です。お互いに「欠点だらけ」だから人を愛することができるのですし、その「欠点」、医療者が「ノイズ」と感じてしまう諸々のことにその人の思いが詰まっています。病気になった時、人間としての「弱さ」が出てこなければ、そのこと自体が異常です。医療者に何も文句を言わず何の「トラブル」も起こさない人がいれば、その人こそが大きな問題を抱えた患者です。
    みんな「問題患者」であることがあたりまえだと腹をくくれば、医療者のイライラも視野欠損(問題のなさそうな患者さんが見えなくなる)も多少なりとも改善するのではないでしょうか。

    「先生も入院したら『かわいいおじいちゃん』にならないとだめですよ。今のままなら『うるさくてかわいげのないおじいちゃん』ですよ」と、私は何人ものナースから言われてきました。小児科では「かわいい」という言葉は耳にタコができるほど聞いてきました。「かわいい」という言葉の対には「かわいくない」「かわいげがない」という言葉があります。人を分断する言葉、それも上位者の好悪で人に優劣をつけてしまうような言葉は要注意です。「かわいい」は、自分より弱い庇護する対象に向かって投げかけられる言葉です。若い女性の「かわい〜い」も、きっとそうです。
    清水真砂子さんは「こちらの囲いを破って出ていこうとするものを私たちは『かわいい』とは言わない。かわいくあれば庇護が保障されるのならば、かわいくあろうと努力するのです」(「大人になるっておもしろい? 」岩波ジュニア新書)と言っています。医療者の「庇護」を破る人は、問題患者と言われがちです。でも「庇護」を破るところに、人はかろうじて自分らしさを見出します。そこから自分の足で歩き出すのだと言うべきかもしれません。
    「立派な患者」「かわいい患者」を求めることは患者さんに「無用の」努力を強いることになり、患者さんの人生を狭いものにしてしまいます。その時、私たち医療者の人生も貧しくなっていることに、私たちは気づきにくいものです。「問題患者」であることに気づくところから、ケアが始まります。(2015.11)

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