東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.224

「先生はなんておっしゃっていましたか」

日下隼人     看護師の「先生はなんておっしゃっていましたか」という問いかけに、「この病院では、医者と看護師との間の連絡がうまく行っていないのではないか」と怒った患者さんがいたそうです。看護師がこのような質問をする場合、多くは患者さんが「医師の説明をどのていど理解しているか」「医師はどんなふうに言っているか」を確認しようとしているものです。患者さんにはその意図がわからないために、戸惑うことがあるでしょう。でも、それよりも、そこに自分が試験をされているような、詮索されているような雰囲気を感じてしまい、その不愉快さが怒りの根底にあるということはないでしょうか。
    「・・・・と私は思いますが、〇〇さんのお考えや先生のお話と違うようなところがありますでしょうか」と尋ねるとずいぶん違うと思いますが、医師が「看護師が余計なことをしゃべった」などとあとで責めるようなところでは、そのような訊き方も不可能です。
    嘔吐が続く患者さんの「下痢が無くても腸炎なのですか」という質問に「そんなウィルス性腸炎もあるんですよ」と答えたのですが、その診断が違って手術になり、後日家族から強く責められた医師がいました。「ウィルス性腸炎の可能性が一番高いのですが、それ以外にも〇〇や△△のような手術が必要な病気でないか気をつけてみていきますからね」と言えば(事実そんなふうに考えて鑑別のための検査をしていました)、きっと「名医」と言ってもらえたでしょう。でも、それだけではないような気がしています。「そんなウィルス性腸炎もあるんですよ」という言葉に、患者さんは「あなたは知らないでしょうけどね、こんな病気もあるんですよ」と言われている気がしたのかもしれません。「無知な人に教えてやる」という雰囲気がかすかに漏れ出していたのではないでしょうか。その不愉快さが、後の怒りにつながることがありうると思います。
    病気になると心細くなりますから、いろいろな情報を求めたくなりますし、今はとても簡単に手に入ります。いろいろな情報を教えてくれる人もいます。その中には、医学的にはどうしても勧めたくないものや、どう考えても「それはまずいでしょう」というものもあります。でも、そうしたものにでもすがりたい思いの人に、「それは科学的に間違っているから、そんなものを信じてはだめです」と言っても効果は乏しいのです。「疑似科学に対して『叩く、馬鹿にする、揶揄する』は逆効果だと思う。一般の人が科学者に抱く『嫌味っぽく、小難しく、遠回りな感じ』への反感が活動拡大の原動力の一つなんだから」とブログに書いている人がいました。「偽医者」がホンモノに勝つのは、患者さんに丁寧に接するからです。ホンモノなんだから、そんな気遣いをしなくても良いだろうと思っている限り、「偽医者」のほうがずっとケアに近いところにいます(偽医者という表現もどうかと思いますが)。『嫌味っぽく、小難しく、遠回りな感じ』を回避する努力抜きに「説得コミュニケーション」を学んでも、きっと患者さんは納得出来ないでしょう。納得できないままに医者の「力」に負けて自らの思いを呑みこんでしまった人のことを、「やっとわかってくれた」と医療者は思いがちです。
    「医療が不確実なものである」ことは確かです。でも「(無知な患者にも)不確実なことくらいわかってもらわないと」なのか「申しわけないけど不確実なところがあります。その制約の中で一緒に頑張りましょう」なのか。「不確実である」と言う人間に謙虚さが感じられなければ、「わかりたくない」という患者さんの気持ちは変わりません。
    医者になって間もないころ「中途半端な知識を持つ患者」とか「理解力の低い家族」という医療者の言葉に、「理解力が低く」「中途半端な医学知識しか持っていなかった」私は、自分が「責められている」気がしました。「程度の違いはあるけれど中途半端な知識を持つものどうしのつきあいなのに」と感じた私には、こうした言葉を使わずに42年を過ごしてきました。(2015.11)

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