東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.225

魔法の言葉

日下隼人     先日講演にうかがった病院で、私をお招き下さった先生から「『お待たせしました』と必ず言うようにしたら、それだけで外来の雰囲気がよくなった」と伺いました。さらに、「画面を見ると来院時間がわかるので『〇〇時から来ていただいているのに、こんな時間までお待たせして申しわけありません』と言ったところ、患者さんが感激してくれた」とも。
    医者が言う「お待たせしました」は魔法の言葉です。残念なことですが、他の医療職が言うのとは比べようもないほど強力です。魔法の言葉はほかにもあります。きちんとした、心を込めた「あいさつ」と「お詫び」、「お礼」。あいさつもお詫びお礼も、非言語的を含めた「言い方」に、言う人の心の立ち位置があらわれます。「きちんと」というのは、「上から」の雰囲気で言わない・「上から」の言葉を使わないということに尽きます。そうした言葉は人を跳ね返す力をもっています。敬語が欠かせないのも、それゆえです。
    その上で、相手の話をていねいに聴くことができれば、コミュニケーションは十分です。「どうすればコミュニケーションがうまくいくか」と技法を工夫することは大切なことだと私も思います。模擬患者参加の医療面接演習などでは、「あれができていない」「こうするほうがもっとよい」と技法的な細かいことをずいぶんお話しすることもあります。でも「誰かに本気で興味を持ったら、人は自動的にコミュニケーション能力がアップする。それがどんなにたどたどしい言葉でも、思いは確実に伝わる。」(雨宮処凛「仔猫の肉球」小学館)のです。
    人は、自分の人生を意味あるものとして語らずにはいられない生き物です。病気の時にはその自分の人生への思い=「自分はこんな人間だから、こんなふうに生きてきた。これから、こんなふうに生きたい」という思いが問い直されます。重い病気や死を身近に感じる時には、それまでの人生を意味づけ、これからの人生をどのように生きるかということを考えずにはいられません。それが患者さんの心の大半を占めています。患者さんはその思い=物語を心の中で反芻しますが、誰かからその物語が承認されなければ心が落ち着きませんから、患者さんは自らの思いを周りの人に話したくなります。中でも専門家である医療者に話すことには格別の意味がありますから、少なくとも医療者の一人は聴き手にならなければなりません。そのような医療者が見つからない時、患者さんの心は不安定さが増します。
    患者さんの物語は、誰かに聴いてもらうことではじめて完成します。患者さんの物語は、聴き手との共同作業の産物なので、聴き手ごとに異なった物語となります。患者さんの心は嵐の中にありますから、患者さんの物語は理路整然としていないかもしれません。他人から見れば、自分勝手な話かもしれませんし、おかしなところがいっぱいあるかもしれません。でも、患者さんに話しかけられた人に求められていることは、患者さんの話を聴くことです。慰めや励ましは余り意味がありません。反論や批判、「患者さんの口にする自己卑下や自己嫌悪」への同調などは、承認を求めている人には逆効果です。専門家という上の立場からのアドバイスも、必要のないことの方が多いと思います。
    目を輝かせて大好きな人の話を聞く子どものように/恋人のように、自分の話を聴いてくれる人がそばにいるだけで患者さんは支えられます。 (2015.12)

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