医師は患者に安心してもらおうと説明します。
「大丈夫ですよ。珍しい病気ではありません。500人に1人くらいのありふれた病気です。手術すればちゃんと治ります。この手術は、私たちのする手術の中では最も簡単なものの一つです。入院も短くて済みますし、痛みも少なくて良かったって、みなさん言っています。インターネットものぞいてみて、ご家族で話し合ってみてください。」
でも、患者は不安になるばかりです。
珍しい病気ではなくとも、病気になったこと自体が悔しくて簡単に受け入れられません。
「どうして499人に入らなかったのか」「どうして自分が当たってしまったのか」と思います。
手術をしなければならないというだけで不安ですし、嫌です。どんなにうまくいっても傷痕は残るのですから「ちゃんと」元通りにはなるわけではありません。もちろん、手術には失敗もありうるし合併症だってありえます。現代の私たちも「身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始め也」(孔子)という感覚から免れているわけではありません。
「もっとも簡単な手術」ということは、入院しても大切に扱ってもらえないかもしれません。
入院するためには、あれこれ手配しなければならず、短いから楽だということにはなりません(医者はそんなこともわかっていないのかな?)。
「痛いんだ」と考えるだけで落ち込みますし、どんな痛みか想像つきません。「少ない」ってほんとうかな?
「みなさん」と言われても、自分が「みなさん」と同じという保証はありません。
インターネットには怖いことが書いてありますし、家族でどんなふうに話し合えばよいのかが分かりません。
医者は最悪の地点から事態を見て、そこからの距離を測りながら説明します。患者は「無病息災」の地点から事態を見て、その距離に立ち竦みます。しかも、その距離の目盛は違っています。
医者の目盛 0 10
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患者の目盛 0 1 10…・
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「医者はそう思いますが、患者さんとしては・・・・といったことが心配ですよね」「『どうして自分が・・・』と思われますよね」といった言葉を添えると、少し事態は変わると思います。患者さんの言葉を聞いて「それはたいへんそうだ」と感じた時にその思いを口に出すのも共感的な言葉ですが、「患者さんは、このような思いがするのではないか」という認知的な判断を踏まえての言葉も共感の言葉ですし、そのような言葉の方が患者さんはホッとするかもしれません。(2016.01)