市の3歳児健診で、とても珍しい病気の子どもを抱えたお母さんから「これからどの病院で診てもらえばよいだろう?」と相談されました。かかりつけにするのによいと思う診療所をいくつか呈示したのですが、「○○先生のところには一度かかりました。丁寧に話を聴いてはくれたのですが、病気の名前をカルテに書いてくれなかったんです。病名を書いた紙を見せたのに」と、受診に気が進まないようでした。
せっかく病名を見せたのに、それを書きとめてもらえなければ無視されたと感じるのは仕方ないことだと思いました。もしかしたら、その医師はとてもよくこの病気のことを知っていたのかもしれませんし、一瞥するだけで病名がinputされたのかもしれません。あるいは、病名を書いた紙をみせられたことが不愉快だったのかもしれませんし、そのような母親の「思い」に心が退いてしまったのかもしれません。「知らない」と言いたくなかったので、わざと素通りしたという可能性もあるかもしれません。どのような理由にしろ、病名を書かないことでコミュニケーションを途絶してしまいました。もしかしたら、その医師はそえなることがわかっていて、難しい病気を診るのが苦手だ(「診たくないなあ」)という気持ちを伝えていたのかもしれません。
コミュニケーションのポイントは、誰もがこれまでの人生ですでに身につけているものです。だから、ふだん自分がどのように人とつきあっているか、ふだんどのように接してもらえたらうれしく、どのような接し方をされたら不快かをていねいに考えさえすれば、そこから自分なりの適切な「技法」が生まれると思います。良い接遇は、自分がされたくないことはしないということを心がけることに尽きます。それは医療に限ったことではありません。(2016.02)