No.25
コミュニケーション「講義」2
「説明してあげなくちゃ」という姿勢は「上から目線」から生まれるものです。そして、「上から目線」を感じた人は、その「上の」人の話を聴くことが出来なくなるということも医療者は気がつきません。そもそもはじめからボタンが掛け違っています。
そのうえ、医療者の言葉が、医療者の思うような意味で患者さんに伝わることはありえません。患者と医療者とは同じ日本語をしゃべっていても、意味が違います。患者さんの胃潰瘍というのと医者の胃潰瘍は違いますし、喘息でも糖尿病でも白血病でも、意味が違います。でも、同じ日本語なだけに患者さんと医療者は違う内容を考えているということをつい忘れてしまいます。専門用語は、これはもう呪文です。横文字の専門用語が患者さんには全くわからないということは医療者もわかっていますので、その意味を説明するのですが、その説明自体がまたあらたな専門用語などが入っていて難しくて、ますますわからなくなってしまう。無自覚に使われる業界用語(セイジョウ、キシツテキ、キノウテキ、ショケンといった言葉です)も耳に入らないので、たいていは聞き流されてしまい、説明の肝心なところが伝わらなくなります。
でも一番困るのはたくさん話してしまうことです。お猪口を出している人に上からお酒をジャージャー注ぐように話してしまいます。普通の人が医学知識を受け止める容量はお猪口ぐらいしかないのですから、そこにいくらお酒を注いでも溢れるだけです。実際の酒席では、お猪口がいっぱいになったらそれを呑むのを待ち、空いたらまた注ぎ、顔が真っ赤になったらそれ以上はすすめないのに、説明のときはそうしないのです。
本人は善意から説明しているので、「すごく良いお酒をいっぱいあげた」と思って満足しますが、患者さんは「お猪口しか出していない人にジャージャーお酒を注いでいることにも気がつかない無神経な医者」「気配りのできない医者」「患者のことを見ようともしない医者」と思います。そうなると、医者は満足しているのに、患者は敵意を抱いてしまうという悲喜劇的な事態が起きます。後になって、患者さんからそのことを責められても、満足していた医者は「なんで文句を言われるの」としか思えません。
おまけに、話すべき説明を、医者の考えた順序でメリハリなくダーっと機関銃のようにしゃべります。検査結果をずっと説明しているのですが、最終的には「良い」という話なのか「悪い」という話なのかわからなくて、患者さんはずっと、ドキドキ、ドキドキしています。次々検査値が正常だと言っているけれど、どこかでどんでん返しで「癌だ」と言うかもしれないと思ってドキドキしていたら、最後までいって「何の異常もありません」。だったら最初から「異常ありません」って言ってくれるほうが後の説明が聞きやすいのに、ドキドキしていたばかりにほとんどの話がわからなくなっています。
患者さんと医療者間のコミュニケーションは、異文化コミュニケーションなのです。病院での行き違いの多くは、医療者が異文化であることをすっかり忘れてしまっているためだということに気がつきます。