No.27
第40回医学教育学会雑感
医学教育学会に行ってきました。気になったことをいくつか。
@「SPのバラツキを減らす」「リアリティがあった(なかった)」「面接に続いてSPの身体診察ができると、診察の流れが遮られずによかった」などという発表がありました。もっと「ばらつかないように」「リアリティを高めて」「身体診察もさせて」、つまり「SPさん、もっと頑張って」ということです。でも、そうでなければ医学教育はできないのでしょうか。「人間なのだから、相手との関わりの中でのことなのだから、バラツキがあってあたりまえ、リアリティがなくてもあたりまえ、裸にまでならなくて良いですよ。」「バラツキがあっても、それが学生の不利にならないように教育側で対応できますよ」「リアリティがないことを契機にして、学習を深めます」「診察の流れが淀んでも、十分教育できますよ」「SPさんはのびのびとやってください」というのは難しいのでしょうか。課題は教育担当者のほうにあるのだと思うのですが、医療者はcureが好きですね(cureには「矯正する」「皮をなめす」という意味があります)。教育者が「ドンと任せなさい」と言える時代ではないのかもしれませんが。
A「SPのモチベーションをあげよう」と、SPのことを「心配」していただきました。でも、SPのモチベーションを最も下げるのは、SPの目に映る医療者のありようであり、「SPを用いる」「SPを指導する」という姿勢でSPに接する医療者なのではないでしょうか。
そうそう、「OSCEの医療面接がSPをスポイルする」という意見が多数ありましたが、その通りかもしれません。SPさんは、試験ではない面接演習のほうがやりがいを感じることは確かなようです。以前、「OSCEは医学教育を変えるか」というテーマでインタビューを受けましたが、OSCEは医学教育者を変えてきたのでしょうか。
Bもっと教育効果が上がるようにと、プログラムの工夫・充実が報告されます。でも、学生をもっと鍛えようということで良いのでしょうか。ここでも、教育者自身を問題にすることは語られません、学会だから仕方ないといえなくもありませんが。私には、この間の教育改革、SPの参加により、教育する側がどのように変わったのかということのほうが気にかかります。SP・市民への見方、接し方は変わりましたか。教育者の日々の医療実践は変わりましたか。今日の医療のあり方を根本的に問い返していますか。今、教えようとしている医療は正しいものですか、本当に?医療が本当に正しいものかどうか疑う姿勢を教えていますか?(医療の枠組みを根本的に問おうとする学生にはなかなか会えません、いつの時代もそうなのかもしれませんが。)
C教育者の行動変容の報告がほとんど無いのは、きっと報告するほどのことが起きていないのでしょう。教育者の行動変容が起きていないとすれば、学習者の行動変容は起きようがありません。医学教育の課題はこのあたりにあるような気がします。
D患者さんへの親近感についての演題の中で、電子カルテを使用する際、端末をどこに置くかが話題になりました。「どちらが良いかというエビデンスがない」というようなことが言われましたので、「エビデンスというより医療者の姿勢として、端末は患者さんのそばに置いて、患者さんと医療者が同じ画面を一緒に見ることができるようにすることが、医療を患者さんと医療者とが一緒に行っていくために必要だと思います」とお話しました。姿勢さえも「エビデンスがなければ」と言われそうですが。せっかくこの演題は患者と医療者と「親近感」についてのものでしたのに、「患者に選ばせる」という言葉が聞かれたことも残念でした。
E佐伯さんが「医学教育学会の目的には『医療を良くする』というような言葉がない」と言っていましたが、学会としてはそうでしょうね。1999年に武蔵野赤十字病院で学会を主催したときのメインテーマの選定の際、「医学教育の目的は、患者さんが笑顔で帰れるような適切な医療を行える医師の養成、つまり医学教育の最終目的は患者さんの笑顔ですね」と私が言い、「患者さんの笑顔に結ぶ医学教育」になりかけたのですが、いろいろあって「暖かい心で満たす医学教育」に落ち着いてしまったことを思い出します。そのテーマを「ずいぶん時代が戻った感じのテーマだ」と評した人がいました。それが、どういう意味で言われたのかまでは、わからずじまいなのですが。