東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.28

最近感じたこと

日下隼人    @外来で診察が終わって、患者さんが部屋を出て行くときにコンピュータ端末に顔を向けて「おだいじに」と言う若い医師の言葉に、「一丁あがり」という雰囲気を感じてしまいました。彼に、「患者さんは、背中で声を聞いていて、あなたが自分のほうを向いていないということがわかってしまう。最後の言葉は締めくくりとなるもので、一番大切なものなのに、その言葉を患者さんのほうを向かずに言うことによって、これまでの診察全体に不信感を抱かれるかもしれないのだよ」とあらためて説明しました。「結局、はじめから自分のほうを向いていなかったのだな。軽くあしらわれたのだな」と思われても仕方ありません。以前、「コミュニケーションとは言葉を遠い未来に向かって送る=贈ることだ」と書きましたが、今に向かって贈ることも簡単ではないようです。
   A長い白衣のボタンをとめない医師が少なくありません。カッコよいような気がしているのか、面倒くさいのか。でも、ボタンをとめていない白衣を見て、失礼だと感じる人もいます。ボタンをとめていない白衣を見て、だらしないと感じる人もいます。だらしないと感じた人は、白衣の着かただけでなく、人柄をだらしないと感じますし、だらしない人の話を信じられなくなります。私たちだって、服装がだらしないホテルマンのいるホテルに入ったら、服装がだらしないスタッフのいるレストランに入ったら、ここって大丈夫かなと思いますし、自分に敬意が払われていないと感じます。こんなことが、あとで大きな不信の種になるというのに。
   Bたまたま、ある医師が「原発不明癌」の説明をしているのを耳にしてしまいました。とても正確な内容だったのですが、説明を聞いていると演説か講義のようなものでした。合間にホッとするような言葉も、いたわりの言葉も、気遣いの言葉もありませんでした。「ふつうの癌」以上にわけのわからない病気の説明なのですから、患者さんには人一倍の不安と疑問があるでしょうに。説明を聞くことが、お仕置きのような気がしてしまいした。
  Cいろいろな医師がいます。顔だけでなく、話し方、笑い方も、服装も千差万別です。これは個性の範囲ですから、患者さんがそのことを「自分にとっては不愉快だ」と指摘することはありません・・・大人ですから。それで、医師は自分を振り返ってみることはなくなります。横で見聞きしていて「あの話し方では、つらい人がいるだろうな」「あの笑い方が嫌いな人はいるだろうな」「あの服装が気に食わない人がいるだろうな」と思わされることは少なくありませんが、患者さんは医師と話を合わせ、丁寧にお礼を言って帰っていきます。「まあ、良い先生なのだから」「悪気じゃないから」などと、自分を納得させているかもしれません。こうして医者は、患者さんがいろいろ我慢していることに気付かずじまいです。世阿弥の「離見の見」というのは、凡人には難しいことのようです・・・自戒を込めて。


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