No.29
コミュニケーション講義4
患者さんと医療者との間には、深くて暗い河が横たわっています。医療の場では、感覚も言葉も全く違う人間同士が会話しているということを、私たちはつい忘れてしまいます。
「たった二、三日」と医者は思いますが、患者さんにとっては「たった」ではなくて「二、三日も(長い!)」です。病院の医者にとってはほんの1週間の「短い」入院と思いますが、患者さんは短い入院だったら1泊2日だと思います。「仕事に行くなんて非常識だ」と医者は思うけれど、患者さんにしてみれば「こんな時代に休むことのほうが、とてつもなく非常識」ということがあるかもしれません。
「15分しか待っていないのに文句言って」と医療者は思いますが、患者さんはもっと長く待っています。「来週いらっしゃい」と言われた人は、もう1週間と15分待っているということに私たちは気付きません。この1週間の間、患者さんは不安に苛まれ、落ち着かないときをすごし続けていたというのに。恋人同士ならメールのやり取りをしますが、患者さんは医者にメールすることもできず、じっと待ち続けるしかありません。
医者は「とりあえず1週間薬を飲んでみてください」なんて言いますが、「とりあえずの治療」をされるのかと患者さんは戸惑いますし、「1週間薬を飲んだら」どうなるのかって何も言ってくれない。「何かあったら来てください」と言いますが、その「何か」が分からないのが普通の人なのです。医者は「何かあったら来てください」と言っただけでちゃんと説明したと思っていますが、それで夜中にちょっと手が震えたからって来たら、「何でこんなことで来たんですか」と怒ったりする。こういうギャップを医療者は気づきませんし、患者さんは「先生、気付いてはいませんよ」と教えてくれません。
よく看護師さんなどが「みなさん我慢しています」と言って患者さんを慰めたり宥めたりしていますが、患者さんは自分が世界で最も重要な人物で、最も重要な人物にふさわしい扱いをしてほしいと思っていますから、こんな言葉に納得する人はほとんどいません。病院は当然にも症状以外のことで人を特別扱いなどはしないのですから、患者さんのストレスは溜まります。自分がこの世界でMVPである患者さんは、誰もが「もっと私のことを見て」「病人としてだけ見ないで」「私を見捨てないで」「私を大事に扱って」と思っています。誰もが心の病の一歩手前までは行くのです。
MVPにふさわしい態度で接してくれない。MVPなのに、上から見下ろされている。MVPなのに、その希望も聞いてくれない。病気は辛い。病むことで人は寂しくなり、心細くなり、同時に、悔しさが沸き起こります。
自分の人生が挫折することが悔しい。自分の身体で起きていることが(目の前の白衣の人にはわかっているのに)自分にはわからず、頭を下げて(しばしば年若く社会性に乏しい)他人に自分の扱いを全面的に委ねなければならないことが悔しい。言いたいことも言えず、尋ねたいことも尋ねられないことが悔しい。自分のことなのに自分では決められない。病気だというだけできわめて制約された生活を強いられる。そして、目の前の「勝ち組」の代表のように言われている医師を見ていると、自分は「負け組」としか思えない。
そのような状況の中では、誰かに怒りをぶつけることでしか息がつけなくなることもあるでしょう。その発火点はささやかなことで十分なのです。「箸が転がっても腹が立つ」のが患者なのです。そのような人の前に立つ医療者としての自分とは何か。その問いを回避したところでコミュニケーションを教育しても、医療は変わりようがないと思います。