東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.30

コミュニケーション講義5

日下隼人    医療の場に限ったことではありません。自分が接している相手の人が、自分より上の立場から話しているのだと感じた瞬間、誰でも「いやな」気がするものです。そこに溝が生まれます。
「下」だと感じた人は、「上」の人に真剣に話す気がなくなります。なぜなら、そもそも「上」の人は「下」の人の話を聴きません。自分の話を「下」の人が理解できなければ、その人が悪いと思います。「下」の人の雑談には耳を貸さなくとも、自分のつまらない雑談は滔滔と話します。もちろん敬語は使いませんし、挨拶も粗雑です。「下」の人の話を聞くときに「聞いてやっている」とばかりに目を瞑っていることもあります。相手の話を聞いているときや自分が話しているときに、貧乏ゆすりをしてもペン回しをしても、相手の顔を一瞥もしなくとも、「下」の人は責めません。逆の言動をとれば、下の人はそのことだけで上の人から叱責されます。こうした言動は、自分より目下の人に対してしか出来ないことなのです。そのことは、この国ではだれもが了解しています。
ですから、医療者がそういう言動をとれば、患者さんは「自分は下だと思われている」と感じます。「お医者さんって偉いんだな」「看護師さんは偉いんだな」と思うと、医療者の話が聴けなくなります。
   上下関係は、自分ではなかなか気づかないものです。病院の人が「○○してください」と言う時、医療者は依頼しているつもりかもしれませんが、患者さんは命令されたと感じてしまいます。親しみのつもりの「・・・・ね」が、馴れ馴れしさや「同意の強制」を感じてしまうかもしれません。「すみません」「ごめんなさい」と謝ったつもりになりがちですが、この言葉も上の人の謝罪の言葉です。「すみませんね」と言われて、心から謝罪されているとは誰も感じません。こうして、医療者の態度と言葉で上下関係を感じて、患者さんは落ち込みます。プライドが傷つきます。悔しさが増幅します。上から見下ろされるという「屈辱感」を、「治してあげる」と思いがちな私たち医療者は感じ取れません。
話を聴くということは、プライドを守るためにもっとも大切なことなのです。話を聴いてもらえないとき、人は言葉が継げなくなります。つまり、言葉を奪われるのです。難しい言葉でいっぱい話される時にも、何を言ってよいかわからなくなり、やはり自分の言葉が奪われてしまいます。言葉が奪われた人間は、「怒り」でしか自分を表現できなくなってしまいます。今、そのような患者さんが少なくないのではないでしょうか。



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