東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.33

鳥の目

日下隼人    鳥瞰という言葉があります。私はもともと高所恐怖症なのですが、高いところに昇って下を見下ろす、つまり鳥瞰することは嫌いではありません。航空写真も好きなので、ついついGoogleの地図に見入ってしまったりします。こんなふうに上から見下ろすことは、きっと多くの人にとっても結構気持ちが良いことなのではないでしょうか。医療の場に長く身を置いてみると、そう感じます。医療の場に働く人間はどうしても他人のことを見下ろしてしまうようになりがちですし、その傾向は年をとるとともに深まる人のほうが多いようです。きっと、そのことが心地よいからなのでしょう。    研修医は、半年もすれば患者さんのことを「悪しざま」に語るようになります。それほどでなくとも「操作対象」として語るようになります。オリエンテーションの時にはそんな感じではなかったのに、採用試験の論文で良いことを書いていたのにと思うことしきりです。看護師も同じか、もっとその傾向が強いかもしれません。
   人のことを上から見て評価したり方向付けをすること(診断、治療、「患者指導」といったこと)は、いったんはこのようなポジションから行われざるをえません。いったんこのポジションをとることが必要であるにしても、それは「とりあえず」のこととしてさっさとそのポジションから降りれば良いのですが、降りたくなくなる気持ちの良さがそこにはあります。それは「使用者」「支配者」の位置なのですから。しかも、そこに留まっていても人に頭を下げられる(お礼を言われ、敬語を使ってもらえる)のですから、ますます降りたくなくなるし、「降りなければならない」必然性など感じなくなってしまいます。そればかりか、上昇はとどまらなくなりがちです。もともと「人のために働きたい」という動機で医療職を選ぶこと自体、「助けてあげる」という「上から目線」に由来しているという面がありますから、鳥瞰することは自分のアイデンティティの強化になります。そこから、その自分の言うとおりにしない人、反論する人は「お上に刃向かう」許しがたい人に見えてしまうまではほんの一歩です。    医療という場では、自分の意識を地面に留めるよう必死になって努めていなければ、意識は風船のようにいくらでも舞い上がってしまいます。それは「魔力」とも言うべきものです。地面に留めようとする努力はいくらしても「変人」という評価以外の肯定的な評価はもらえません。医療者としての経験が増えれば増えるほど、自分に臨床的な実力が付いたと思えばおもうほど、舞い上がります。そのときに私達は大切なものを見失っていることには気がつきません。M.エンデの「はてしない物語」の中で、主人公の少年は一つ知識が手に入るのと引き換えに大切な記憶を一つ失っていきます。医療の知識が手に入るごとに、医療職になる前に抱いていた大切な「思い」を一つずつ失っているのです。その「思い」を全部なくしたときに「一人前」と言われるのでしょうか。医学教育の世界でも、「学生に学ばせる」「フィードバックをしてやる」といった言葉が頻繁に聞かれます。一度舞い上がってしまうと、地上に降り立つことはやはり難しそうなのです。
   SP演習についても、ついつい「SPを自分たちの教育カリキュラムに組み込んで、都合よく使いたい」と思う医療者が少なくないようです。「上から目線」が身についていると、ついついSPも教育のための「道具」に見てしまいがちです。「良い医学教育をしたい」という熱意に支えられているだけに、「手ごろな道具」として協力者を見てしまっているということに気がつきにくくなってしまいます。    身体処置を受ける演技を依頼されて悩んでおられるSPさんがおられると聞きました。ご本人はそこまではしたくないとのお考えなのに、一方的に依頼が来たということでした。協力者の善意にどう応えるかというところから出発しない教育が、患者中心の医療にたどり着くことは難しいと思います。SP活動が始まった頃、「市民参加による医学教育」という言葉を聞いた記憶があります。それは、「ふつうの人の目によって今日の医療のあり方を問いかける教育」という意味だと私は思います。「市民を都合よく使う」ということであれば、人体実験の思想と本質的には変わらないでしょう。(SPの身体診察についての私の考えは、このコラムのNo5〜9に書いてあります。)
   かつて私がある大学の研修会で「SPを使用する」と解説したところ、ご一緒した尾島昭次先生(元・医学教育学会会長)から「『使用する』ではなく、『協力していただく』と言う方が良いよ」とあとで注意していただきました。その言葉が私の原点となっています。


▲コミュニケーションのススメ目次へ戻る        ▲このページのトップへ戻る

 

プライバシーポリシー | サイトマップ | お問い合わせ |  Copyright©2007 東京SP研究会 All rights reserved.