東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.38

「ケアとキュア」

日下隼人    ケアとキュアという言葉はしばしば二項対立的に語られがちですが、もうそろそろこのような語り方をやめても良いのではないでしょうか。キュアは医者のしていること・医学的な治療を意味して使われているようですが、ケアは病者を支えようとする私たち医療者と病者とのかかわり全体のことなのであって、キュアと言われる「ツールを用いて病者と関わること」はその大きなケアの一部分に過ぎないのです。
   ケアはナースがしていることと同じではありませんし、ナースだけがすることでもありません。病者と接する人は、その関わりを通して、それぞれの仕方で誰もがケアを行いうるのです。掃除のおばさんが、隣のベッドの人が、服薬指導に来た薬剤師が、採血に来た検査技師が、病者をケアしています。医療者のしていることは自動的にケアであるわけではありませんし、病者は、医療者であるというだけで医療者のことをケアをする人として認知しているわけでもありません。
   ケアは「する」ものではなく「生まれる」ものです。ケアは、医療者が一方的に行うものではなく、病者と医療者とのつきあいの積み重ねから生まれる、あるいはその積み重ねそのものなのであり、ケアとは病者と私たち医療者とのこの共同作業のことです。ケアは一方的なものではなく、この共同作業に関わる人たちがお互いに「ケアし」「ケアされる」関係なのですから、病者が医療者をこの共同作業の相手として認めなければ、ケアは生まれません。医療者の「努力」にもかかわらずケアがうまく行かないとき、私たちは自分が認められていないのではないかと思い返すべきなのです。
   「ケアしなければ」「援助しなければ(したい)」という援助強迫症的な誠実さや「患者教育」「患者指導」という「教師的」雰囲気、「患者に○○させる」と言えてしまう高みからの視点、そういったものを抱え込んだ医療者が病者から共同作業者と認めてもらえることは、そう多くないのかもしれません。「ぎらぎらした目をして迫ってくる男性は嫌い」と作家の中山千夏は言いましたが、「援助しよう」という目もまた、迫ってくればくるほど病者は身を小さくして逃げ出したくなるのではないでしょうか。文字通り肉体も暮らしも丸裸にされてしまう病院という暴力的なところにいる時、自分の心の一番肝心なところまで人目にさらしてしまえば、自分がなくなってしまいそうです。医療者の目から隠される部分に、その人の心が辛うじて息づき、生き延びているかもしれないということを私たちはもっと気にかけなくてはいけないのだと思います。
   援助しようという正義感にとらわれると、心を閉ざしてその「好意」に応えようとしない相手が腹立たしくなるかもしれません。でも、その相手に対して自分の心は開かれているでしょうか。人は、自分が信じられる人に対してしか心を開きませんし、心を開いて自分を受け入れてくれる人のことしか信じません。病者はきっと開かれているところにおそるおそる自分の思いをそっと投げかけてみることしかできないのです。ケアというつきあいは、医療者が援助者としての肩の力を抜いたとき、ふっと始まるのだと思います。
   ケアとはそっと見守ること、見守り続けて、必要なときにそっと、あるいはさっと手を添えることだと思います。ちょうど、マラソンランナーの伴走者のように。そのためには、私は目をそらさず、支えられるようにいつも手を準備していなければなりません。はらはらしながら病者を見守る私たちの時間と、生きる不安に満ちた病者の時間が寄り添うところにケアは生まれるのだと思います。病者に必要なのは、ふと横をみればこちらを見つめていてくれる人であり、倒れそうになれば後ろから支えてくれる人です。「後ろにいますよ」「そばにいますよ」というメッセージを私たちは発信し続けているでしょうか。それは言葉によるというよりは、こちらの体温を感じてもらえるほどの距離に居つづけるということなのです。それこそがコミュニケーションの真髄です。
   自分が大切にされ尊重されていると感じられれば、病者は落ち着き、自分で歩き出せるでしょう。そのとき、私たちも病者に支えられて自分の人生の新たな一歩を歩みだすのです。「ケア−いつもあなたのことを」というコピーが生命保険の広告にありました。「いつもあなたのことが気にかかっているし、何かあれば私はあなたをすぐに見つめる態勢をいつもとり続けていますよ」とお互いが思い合えるつきあい。広告に使われてしまったことはしゃくですが、ケアの出発点も到達点もこの言葉に凝縮していると思います。


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