東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.45

こんなことで良いのかな

日下隼人  (1) 「病院の言葉をわかりやすくする」活動をしてこられた先生のお話を聞く機会がありました。いろいろ示唆に富むお話ではあったのですが・・・・、「腫瘍には悪性と良性とがあることを患者によく理解させてから」という言葉に、そんな目の高さからの活動だったのかと戸惑いました。また、お話の中で「リテラシー」という言葉が2回も出てきました。私は今でもこの「リテラシー」という言葉の意味が良くわかっていないのですが、このような言葉を使うことと「専門家の言葉をわかりやすくする」という活動との関連がわからなくなりました。「リテラシー度が高い人にアンケートをとった」と言っておられましたから、読み書き能力という意味なのでしょうか。能力という言葉を使うと露骨なのでリテラシーと言ったのかもしれませんが、こういう「ぼやかし」って専門家がやりそうなことですね。読み書き能力の低い人の話を聞かないで、病院の言葉をわかりやすくすることができるのだろうかとも感じました。

 (2) 以前も書いたことですが(No37)、見学の学生の話を聞いてみると、臨床実技試験(OSCE)の医療面接で求められているような医療面接を、実際の診療場面でしている大学の先生はほとんど居ないようです。これでは、学生は試験で求められていることは「うそだ」「だいじなことではないのだ」ということを学ぶしかなくなります。教育効果はあがらないどころか、逆効果しか生みません。それに、自分が教えている(採点している)ことを、実際には自分がしていないということを見せることは自分の評価を下げることだと、大学の先生方は考えないのでしょうか。

 (3) 見学に来た学生から尋ねられました。「医学教育の偉い先生が講義に来て、『がんの末期であと1週間ももたない人が、研修医のあなたに「私、治りますよね」と言ったら、なんと答えますか』と尋ねたのですが、状況によると思ったので答えられませんでした。そうしたら、その先生に『そういうのが一番だめだ』と言われてしまいました。『そうなると良いですね』と答えるのがベストだと言われたのですが、先生はどう思われますか」。
 こんな愚問で学生を傷つけてしまって良いのでしょうか。
どのような医療者の言葉も、それまでの患者さんとのつきあいの上に瞬間の決断として、言うしかありません。まして「がんの末期」の患者さんであれば、それまで何がしかのつきあいがなければ、このような質問はされないでしょう。そのときに問われるのは、それまでのつきあいの「質」であって、言葉ではありません。どのような言葉であっても、沈黙であっても、涙しか出なくても、そこからこの先どのようにつきあいを深めていくのかということだけが問われます。正しい答え方を「教える」ことが私たちの仕事ではなく、「正しい答」など無いところに私たちは踏みとどまらなければならないし、どのように答えようと「その人」のそばにとどまり続け、つきあい続けることが「倫理」なのだということを伝えるのが、私たちの仕事だと思います。

 (4) 「医療は必ず治してくれるものだという患者の過大な期待が医療を崩壊させる」という言葉に、私はずっと違和感があります。医療崩壊の責任は患者なのでしょうか。そもそもこの言葉は、患者が無知蒙昧な民であるというところから出発しています。その「目の高さ」こそが患者を不愉快にするものなのに、と思います。
 「目の高さ」を支えてきたのは、「医療が病気を治せる」という「幻想」を患者に植え続けてきたからです。意識的に幻想を植えたのではないでしょうが、大きな建物の中にいて、白衣で患者の前に立つという行為が、医者が「医者らしく」振舞うことが、幻想を植え続けます。患者が勝手に勘違いしていたのではありません。高いところから見下ろすと「患者が医者に敬語を使い頭を下げているのに、医者は患者にタメグチで話し失礼な態度で接している」というようなことがおかしいとは感じられなくなります。なによりも、人に頭を下げられることは「快感」です。人の上位に立つ快感に医者は(無自覚であったとしても)甘えてきたのではないでしょうか。医者は、こういう「快感」を自ら断とうとしてきたでしょうか。「患者が悪い」と思って患者を見ていけば、自分については問われることのないまま、どんどん患者は悪い存在にしか見えなくなるでしょう。だからこそ、あの倒錯していると私が感じてしまう言説が多くの医療者に受け入れられているのではないでしょうか。
医療に限界があることは誰でも知っています。それでも「過大な期待」を患者が言いたくなるのは、「意味のわからない言葉」ばかり言っている医療者がそれで十分説明した気になっていたり、患者がやっと口に出したささやかな期待にさえまともに応えようとしないときなのではないでしょうか。こちらのほうをまともに見てもらうために「過大な期待」をぶつけざるを得ないということはありそうです。

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