No.47
スーパーレジデントって?
高校の同窓会の会合に出てきました。そこは中高一貫の、いわゆる受験校で、私にとっては「楽しい思い出」とは言えない6年間でしたので、懐かしさもありましたがほろ苦いものでもありました。
京都市とは名ばかりの田園地帯で育って私にとって、都心の中学校はそれだけで異次元の世界でした。京都という都会の雰囲気、しきたりを私はぜんぜん知りませんでしたし、同級生たちは田舎では想像もつかないような教育を受けており、優秀な人たちばかりでした。それで、私は雰囲気になじめませんでした。自分だけが雰囲気になじめないという局外者の感覚は6年間ずっと抜けませんでした。
田舎で奔放に育っていたため(そのことだけが原因ではないと思いますが)、カトリックの学校の厳しい規律に従って生きられず、入学してまもなく「問題児」と言われてしまいました。「まあまあ良くなった」と言われるのに4年くらいかかったでしょうか。(でも、ここで学んだ「躾」が医師の態度教育を考える基礎になっています。)
できなかったのは勉強だけではありませんでした。スポーツもぜんぜんできませんでした(運動神経ゼロです、医学的表現ではありませんが)。小学校から少しはバイオリンを練習していたのでオーケストラ部に入りましたが、一番下手なバイオリン奏者でした(ぜんぜん家で練習していなかったのですから当然ですが)。文武両道どころか、どちらもダメダメでした。
勉強ができなかったのは、はじめだけではなく6年間ずっとです。もともと理数系が嫌いで、高校生の時にはいくつかの授業では「お客さま」状態でした。黒板で誰かが正解を書いた時や実験の時に、みんなが「やっぱり」「そうか」などというのを聞いても、なにが「やっぱり」「そうか」なのかさっぱりわからず、ここでも一人で取り残された感じでした。「落ちこぼれ」ていたのです。勉強は、していなかったというより、やり方が下手だったのかもしれません。予備校の1年間、必死に勉強したためか大学にはかつがつ通りましたが、解法−受験テクニックを覚えただけだったので、大学でも優秀な同級生たちに圧倒されたのは中学のときと同じでした。やはり私の頭は数学や物理を受け入れる構造になっていないのだと思います。
でも、私が問題児としていろいろ言われていたときに、「将来のことはわからないから」と温かい言葉をかけ続けて(見守って)くれた先生が何人かおられました。ぜんぜん運動ができないのに、なんだかとても親しくなった体育の先生がいます(今でもおつきあいがあります)。オケの先生とは喧嘩もいっぱいしましたが、高1で辞めるまで付き合っていただきました(辞めたときにホッとされたのでしょうが)。高校生になって、授業と関係ない本を読んでは議論を吹っかける生意気な私に、何人かの先生はいつも話し相手になってくださいました。後年、この先生方が私の恩人だったのだと思い至るようになりました。
こうした経験が、今の私の医療についての考え方や医療の場での人とのつきあいかたを形づくっているような気がします。私が受けた温かさを忘れないでいたいと思います。
ところで、自分の周りの医者をみても、大学の先生方とお付き合いしても、研修医の採用試験をしても、医学部は優等生の集まりだと感じることが少なくありません。それも、みなさん文武両道に秀でています。優等生が、病気になった人の気持ちを感じ取ることは簡単ではない気もしてしまうのですが、だからこそ、そのことを一緒に考えていくことがコミュニケーション教育ではないかとあらためて思いました。
先日、「スーパーレジデント」という言葉を目にしました。優等生が「スーパー」を目指すとき、患者さんのもぞもぞした心の動きと付き合ってくれるのだろうかといささか心配になり、みんなが「(スーパーでなくとも)良い医師」になってくれるように臨床研修が必修化されたはずなのにと、私はこの言葉に戸惑いました。「スーパー」かどうかを計る物差しが一つか二つしか無いとしたら、それも困ります。スーパーではないレジデントに親しみを感じてしまうのは、私の生い立ちのせいなのでしょう。