東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.48

暴言・暴行から職員を守る?

日下隼人   残念なことに、職員が患者さんからの「暴言」や「暴行」にさらされることがあります。
   そのような事態に対して、「職員を守る」ために、「速やかに警察に連絡せよ」とか「警察との連絡システムを作る」とか「警備員と連携を密に」とか「警察OBの雇用」とか「強制退院の容認」とか「再入院時の誓約書」といった方針が病院から出されます。そのことにはやむを得ないところがあり、それぞれ有効性があるとは思います。でも、これがほんとうに「暴言」や「暴行」に傷ついた職員を守ることになるのでしょうか。
   「暴言」や「暴行」によって、当事者の心は分裂します。医療者ですから、「ケアしたい」という使命感は抱き続けています(そういう使命感自体にも問題がないわけではありませんが)。自分のケアが不十分ないし間違っていたのではないかと思います。当の患者さんのことが気にかかり、自分のケアについての無力感・喪失感にさいなまれ、あらためてケアを考えたいとも思います。でも、あんなひどい言葉は許せない、あの人の顔も見たくないと思います。どう考えても、今回の事態では相手の言い分がおかしい。そうした思いのはざまで立ち尽くします。その立ち尽くしている人が、病院の「強い」態度だけで癒されるでしょうか。分裂した心は統合されるでしょうか。病院の対応によって、分裂は固定化されたまま、というよりその分裂が強化されるのではないでしょうか。
   分裂した心の「統合」を支えることが、職員を守るということのはずです。時間のかかるサポートが容易ではないことは言うまでもありませんが、それがなければ「ほんとうに病院に守ってもらえた」とは当事者には思えないでしょう。そのことに管理者はどうしても気づきにくいようです。(当の職員自身が「ともかく警察を呼んで」とか「強制退院させてほしい」ということがありますが、そのときも職員の心は分裂しているのです。)
   ところで、「暴言」や「暴行」の原因は患者さんの個性に帰せられがちで、医療者が原因を作ったのではないかとはなかなか言われません。病気の人はだれもが不満・不安・悔しさ・つらさの中におり、だから「クレーマー」一歩寸前の状態なのです。発火寸前の油のようなものです。それが「病む」ということです。悪気はなくとも、そこに配慮を欠いた医療者の言葉や動作が投げかけられることは、油にマッチの燃えカスを投げ込むようなものです。マッチの燃えカスを投げ込んでおいて、発火したことに驚いて騒いでいるというようなことが医療者にはないでしょうか。「職員を守る」とばかり病院が言っていると、自分がマッチを投げ込んだことに気づかないままになってしまう人も出てきそうです。病院は「患者を守る職員を守ります」と言うべきだと思います。

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