東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.50

それでおしまい?

日下隼人   がんで奥様を亡くされたご主人が、入院中の治療について疑義を訴えてこられました。このような訴えについて、「自分が十分なことをしてこなかったやましさについて、対象を病院に置き換えて攻撃している」「自分の対面を保つために言っている」などという意見が出されます。精神分析としてはあたっていそうだな、「面子」と言えばゴフマンだな、などと思って私は聞いています。医者の知識は豊かだと一瞬思いますが、考えてみれば、この程度のことは普通に暮らしている人たちは誰でも知っていることかもしれません。井戸端会議でもこの程度のことは話されているようですから、病院の会議も井戸端会議と大差ないのかもしれません。祖母に自分の研究のことを尋ねられたので説明したら「学者っていうのは、私たちが誰でも知っていることを、そんな風にわざわざ難しい言葉でいうことが仕事なのか」と言われたという話を、以前読んだことがあります。コミュニケーションについての本を読んでも、そんな感じがしてしまうことが少なくありません。
   閑話休題、このような分析をした上で、「だから、このような訴えは取り合わなくても良い」として、ここで話を終わりにしてしまう人が少なくありません。私は肩透かしを食わされた気がします。この「診断」はそれなりにあたっていると思います。診断がついたら治療が必要なはずです。診断は終わりではなくて、始まりです。このような状態の人にはケアが必要です。ケアの視点のない診断は、有害無益です。「そんなの関係ねえ」=診断がついたらおしまいと思えるのは、はじめからクレーマーとして受け止めているからです。「そこで終わりはないでしょ」と私は思います。インフォームド・コンセントが、医療者の説明が本番なのではなく、説明の後の患者さんの質問から本番がはじまるのと同じです。
   この患者さんの訴えは、グリーフワークとかモーニングワークと言われる作業です。遺された人は、今の怒りを含む混沌とした感情を、自分の人生の中で統合していかなければなりません。その作業は一人ででもできますし、一人でするしかありません。その作業を最も助け癒してくれるのは、時間です。時間にお任せするしかありません。けれども、そばにいる人たち、そして接する医療者の対応によっては、その作業はとんでもない迂回をすることになるかもしれませんし、軟着陸が容易になるかもしれません(時間の短縮はできませんが)。迂回する事態は遺された人と医療者の双方にとって不幸な事態です。コンフリクトマネジメントにはグリーフワークへの目配りが欠かせないと思いますし、「クレーム対応」にケアの視点は欠かせないと思います。

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