No.52
医療という仕事
医療という仕事は、人に、「その夢をふくらませることができる場を提供すること」だと思います。
病気の人にとっては、これまで生きてきた個人史を肯定することができ、現在の出会いを喜ぶことができ、未来(残された時間)への夢を育むことができる場。よく言われる「病者に寄り添う」とは、そのことをいつも考えて、そばに居続けることです。病者のそばに居続けるとき、病院で働く人たちもこれまでの個人史を肯定でき、現在の出会いを喜び、未来への夢を育むことができるのではないでしょうか。久間十義氏が、ディズニーランドと良い病院の共通点として、安全第一の場所であること、ゲストがまた来たくなる場所であること、ゲストに感動を与える場所であることを挙げていることと、どこかで通じているのだと思います。「そばに居続けること」を最優先にして考えていたいと思いながらも、病気の原因となる遺伝子についての新しい知見を聞いているうちに、医療政策に沿った病院経営を考えているうちに、忘れてしまいがちなことがこわいのですが。
ある医師用のサイトに、「診察中の何気ない一言で親が激怒!」という表現がありました。不当に怒りを表す親がいることは確かですが、「何気ない」という言葉に私はひっかかりました。「何気ない」言葉には、たいていその人のホンネが表れます。言葉の奥の心が見透かされてはいなかったでしょうか。
親が怒ったのは、一言そのものについてなのでしょうか。その一言が発せられた雰囲気や医師の態度にひっかかるものがあったのではないでしょうか。その言葉が話された状況を抜きにして、言葉の字面だけで考えてしまうと、コミュニケーションは見えにくくなるかもしれません。
「何気ない言葉」「悪気のない言葉」を投げかけることができるのはいつも「上」の人であり、「下」の人は「何気ない」言葉を言わないように細心の注意を払っています。言葉よりも、この権威勾配に(医師が無自覚なことに)激怒する人もいるのではないでしょうか。
私は、楽しい会話や雑談こそが患者さんとのおつきあいを深めると思っていますし、実際に楽しくお話しさせていただいています。病気を説明する時には、事態がわかりやすくなるように余分な言葉(補助線となる言葉)をいくつか入れるようにしています。でも、だからこそ、雑談の言葉も「何気なく」使わないように心がけています(いつもできているかは心もとないのですが)。どのような言葉も、それが患者さんの「夢をふくらませる」ことにつながるかどうかと考えてから発したいと思っています。