東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.55

正しいことを伝える?

日下隼人   「癌の患者さんのそばに行って、何を言ったらよいかわからない」と言う研修医がいました。「適切に話す」ことを指導するのも教育かもしれませんが、何かが話せるようになることを「成長」と言い切りたくないと思います。患者さんをしっかり受け止めれば、「何も言えない」ということこそが誠実なのだと思います。「何を言ったらよいかわからないことに悩んだ想い」を忘れずに、きついかもしれないけれど、この「想い」に留まり続けることが大切だということを、伝えたいと私は思います。この宙ぶらりんな状態に、あえて答えを出さずに踏みとどまり続けることが倫理的姿勢なのではないでしょうか。コミュニケーションを教えるということは、倫理的姿勢を伝えることだと思っています。
   医療コミュニケーションについて書かれたものの中には、医師の考え・医学知識は正しいものだという前提にたって、その正しいことをいかに伝えるかというところから出発しているように感じるものがあります。でも、「自分は正しいことを言っている」「あなたの知らないことを教えてあげる」という姿勢からは、コミュニケーションは生まれにくいと思います。医療者の「教えてあげる」「指導してあげる」「思いやってあげる」という態度が、相手の心を深層で傷つけているということに医療者は気づきにくいものです。
   そればかりか、「正しい」ことを主張することは、しばしば相手に攻撃的なものとして響きます。医療現場で患者さんと齟齬をきたしたときにありがちなことですが、医療者が「正しい」と思っていることを必死に伝えようとすればするほど、相手の人は遠ざかります。医療者は「どうしてこんなに詳しく説明しているのに、わかってくれないのだ」と思い、もっと詳しく話そうとしがちです。確かに、言葉は剣以上に人を刺すのですが、その痛みは刺された人にしかわかりません。ある会合で「意識の高い人に向かって話す」という言葉を耳にしましたが、自分に近い人を「意識が高い」と言うような感覚も、人を遠ざけます。少なくとも私は、「自分が正しい」と主張する癖のある人には近よらないようにしています。
   医学知識を媒介にして、その患者さんにふさわしい医療を、暮らしのフィルターを通して一緒に見つけ出していく過程がコミュニケーションであるというほうが、私にはしっくりきます。そのためには、医学的な知を少しずつ組み替えたり、ずらしたりしていくことが必要です。とすると、医療者である私には、自らが「安住」している医学の枠を抜け出すことが求められているはずです。医療コミュニケーションは、医療者としての存在基盤・人生を問い直し、生き方を日々作り変えることを医療者に求めているのではないでしょうか。患者さんに納得していただくのは「医学的な正しい知識」以上に、「一緒に歩いていこうとする医療者の姿勢」であり、それはコミュニケーションを通してしか伝わりません。

▲コミュニケーションのススメ目次へ戻る        ▲このページのトップへ戻る

 

プライバシーポリシー | サイトマップ | お問い合わせ |  Copyright©2007 東京SP研究会 All rights reserved.