No.7
模擬患者と身体診察B
「SPさんが自分が選んだのだから、良いじゃない」と言っていてよいでしょうか。同じ言葉を、売春している少女やAVに出ている人にも言えるでしょうか(宮台真司のように)。自分の娘でも、親友でも・・・、止めませんか? 内田樹(「おじさん」的思考:晶文社)は、商品として性にかかわるものが尊敬されないのは、生物として持っている身体を、なんの訓練も無く商売にできるからだと指摘しています。訓練を必要としない商品を売るということは、「仕事をする」ということの一番大切な部分、「その活動を通じて周囲の人々のレスペクトを獲得する」という点が脱落している(むしろ自尊心を放棄することで収入を獲得する)ことで、職業(SPのばあいなら活動)として成立しないと言っていますが、まさに身体診察にはそのことがあてはまりそうです。 今の日本で、いや、きっとアメリカでも、人前で身体をさらすことができるような人は社会的に劣位の人だと思う人、「人前で裸になれるやつなんて××××だ」と否定的な像(憎悪)を投げかける人が、少なくとも一定数いるはずです。それは、抜きがたく人が持ってしまう差別意識によるものかもしれませんし、自分の存在を脅かされるものに対する自我防衛としての蔑視によるものかもしれません。そのような意識と闘い解消するためにこそ、身体をさらすという実践を行うという方略はあると思いますが、自分で先頭をきって実践せずに本来受益者である市民が代わりに闘うという構図が好ましいものとは思えません。 「医学教育という崇高な目的のため」なのだから売春とは違う、職業とボランティアは違うなどと言えば、M.フーコーに嘲笑されるのが落ちですね。親しい人が貶められる機会を阻むのは、その人が「弱い」存在に見えているからではなく、その人が大切だからではないでしょうか。