No.89
Common disease
今年も研修医採用試験が終わりました。面接の時に「市中病院でcommon diseaseを勉強したい」と言う学生は今も少なくありません。7月にレジナビフェアという研修病院説明会に参加した時も、common diseaseが多いことを「売り」にしている病院がありました。そういえば、レジナビフェアでは、毎年必ず「この病院の『売り』はなんですか」と訊く学生がいます。「『売り』と言うような下品な言葉を使う研修医は採用しないことが『売り』だよ」と言ってみたい誘惑に駆られたりするのですが、もちろん我慢して、「たいした『売り』はありません。どうして倍率が高いんでしょうね」などと煙に巻いています。学生が自分たちのことを売り手市場だと思っているのか、言葉遣いを知らないのか、どちらにしても「このまま医者にならないでね」と心で祈っています。
「common diseaseをたくさん診る」とよく言われますが、その内実はあいまいです。「common diseaseとはどのような病気か」「common diseaseを何例診れば、どのような力がつくか」ということがきちんと語られているのを見聞きしたことがありません。(最近、「Common diseaseを年間1000例診なければ」という記事に出会いましたが、具体的にどのような力が付くのか、逆にどのような力が付かない危険があるのかは書かれていませんでした。) common diseaseという言葉は、「平和」「民主主義」「グローバリズム」「世界標準」などのように、「中身がたいして吟味されてもいないのに、その言葉を先に言ってしまうと言ったものが正義を背負える言葉」の一つのような気がします(このような言葉の使い方を鶴見俊輔は「言葉のお守り的使用法」と言いました)。
私のいる病院を見学に来る学生には、common diseaseを診ることよりも医師としてのcommon senseを身につけることを目指して下さいとお話ししています。人には、向き・不向きがあります。市中病院の忙しさの中でcommon senseが身につく人もいるでしょうが、大学で少しゆっくりと歩を進める方がcommon senseが身につく人もいるのです。自分の得意な歩き方を知らないまま研修病院を選んだために、少し遠回りをしてしまっている人を時々見かけます。
それにしても、あんなに「患者中心の医療」と言いながら、「diseaseを診ることができる」と宣伝するのはどうでしょうか。これでは、「病人を診るのではなく、病気を診よ」という姿勢が学生たちに伝わってしまいます。「1000例診なければ実力がつかない」と言われれば、「○○さん」ではなく症例として、個としてよりは量として患者さんを見る人が出て来るかもしれません。量を稼ぐためにどこかで手抜きをしてしまう人も出てくるでしょうし、その時コミュニケーションを真っ先に消去してしまう人もいるでしょう。それがcommon senseになってしまっては困ります。言っておられる先生は立派な方なのですが、誰もがその先生のようになれるわけではないのです。(2011.9)