東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.91

キーパーソンという言葉

日下隼人    診療を進めるにあたって、キーパーソンということがよく言われます。診療録にも、その記載欄があります。当の患者さんを取り巻く人の中で「鍵を握る人」ということですがでも、これって医療者の都合ではないでしょうか(もともとキーパーソンは患者さん本人ではないかという疑問は措くとして)。
  「キーパーソンにさえ説明しておけばよい」「キーパーソンでもない人が、何を文句言っているの」「キーパーソンさえ納得すれば」という雰囲気がそこにはあります。「キーパーソンが『受け容れ』れば、後の周囲の人たちの言葉は雑音でしかない」「キーパーソンが、周囲の人を説得してよ」、そんな「下心」が見え隠れします。
   説明をするとき、キーパーソンの方ばかり向いて話していないでしょうか。何かを決めていただくとき、キーパーソンに向かって、家族みんなの代表としての決断を求めていないでしょうか。その時、キーパーソンと「認定」された人の荷の重さ、キーパーソンと「認定」されなかった人の悔しさ(「良かった」とホッとするという面ももちろんあるでしょうが)を医療者はわかっているでしょうか。妻なのに息子にばかり話される、兄弟なのにずっと後で声をかけられる。そこでの「不快感」が積み重なって、ある日爆発することだってあります。そのような人をクレーマーとしか見えないとすれば、私たちの想像力が貧困だということです。
   キーパーソンが、途中で交代することはいくらでもあるはずです。キーパーソン扱いされた人がそのために疲れてしまったら、他の人が代わるしかありません。時には日々に交代するかもしれませんし、あるいは課題ごとに交代するかもしれません。患者さんを含めて周囲の人みんながキーパーソンだとして接するという姿勢を持てないでしょうか。せめて、キーパーソンと「認定」することとその人の荷の重さを私たち医療者が一緒に担うというメッセージを伝えることとが同時に行われなければと思います。(2011.10)

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