東京SP研究会

 

2010年  第113回日本小児科学会学術集会 教育講演13  発表

患者の視点で考える医療コミュニケーション


2010年4月25日実施
第113回日本小児科学会学術集会 教育講演13 抄録
「患者の視点で考える医療コミュニケーション」

東京SP研究会 代表 佐伯晴子

 SP(模擬患者: Simulated Patient)SPは症状をもった患者であると同時に、人生を歩むひとりの人として対応します。東京SP研究会は医療コミュニケーションの向上を目的に1995年4月の設立以来、医歯・看護・薬剤・リハビリ・栄養・養護・福祉・事務職など幅広い領域で、学生・研修生・中堅・指導医・専門医など多様な医療面接演習やインフォームド・コンセント研修などを行なっています。最近では遺伝カウンセリングのクライアント役で研修会をお手伝いしたり医療機関の倫理委員を務めたりしています。
 そこで、今までの医学教育や医療者研修を通じて、医療者のコミュニケーションについて感じていることをお伝えします。まず、極めて忙しいためコミュニケーションが十分にできない現状があります。患者さんやご家族の話をゆっくり傾聴するなど所詮無理な相談です。そのため診療の最初の段階から患者さんやご家族は「話を聴いてもらえない、正しく理解してもらえない」と感じ、検査結果の説明場面では「わかりやすく話してもらえない、質問させてくれない」と不満を覚えます。この状況はお互いに不幸であると感じます。
 また、時間の問題が解決できたとして、患者さんと医療者とでは価値観や認識に多いに違いがあります。医師側の7割が「きちんと説明した」つもりのものを、患者側は3割程度しか「きちんと説明してもらった」と思っていないという認識のズレがあります。言葉や考え方も専門家と素人には「話が通じない」要素だらけで、両者は異文化と言えます。通じない相手であると最初から覚悟してコミュニケーションに臨む必要があります。
 しかし、患者として一番残念なことは同じ目の高さで向き合ってもらえないことです。 専門知識と技能を素人に対していかに役立たせるかがプロの仕事です。その素人(患者さん)が専門家の力を借りて支えられて自らの人生を切り開いていくので、主語はあくまでその素人本人です。ところが、現実の医療コミュニケーションでは、医療者が主語で物事が進められ話が展開し本来の主語はかやの外に置かれてしまい勝ちです。本人が理解し納得することがすべての前提であるはずが、それが実践されていません。ですから最後の段階でいきなり「自己責任で自己決定」と迫られても困惑するばかりです。 専門家として詳しく知っているのは業務をする上で当然のことであって、情報を持たない素人の上に立つという意味ではないはずですが、医学生の医療面接演習をしていると、孫のように若い学生に見下されているように感じることがあります。これでは信頼はできません。心を開いて相談する気にはなれないのです。人として向き合い、寄り添う姿勢を態度と言葉で示していただければ、心から有難い存在だと感じられます。
 子ども本人に表現できないことを家族が代弁し理解し決断するとき、本人に代ってやれないだけに不安や迷いが続きます。あたりまえの子ども、普通の親子、家族の気持ちが取り戻せるよう寄り添うためのコミュニケーションを考えてみたいと思います。




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