東京SP研究会
コラム:佐伯晴子

佐伯晴子プロフィール

No.3

COML・辻本好子さんに与えられた活動の命を育て続ける

佐伯晴子   2011年6月18日COMLの創設者であり、東京SP研究会の生みの親である辻本好子さんが62歳で他界された。2年ほど前に厚生労働省の会議の帰りの地下鉄をご一緒したのが最後となった。今後の医療について、国民と医療のつきあい方について、もっとお考えをお聴きしたいと思いながら、果たせなかった。

    1993年夏に私はイタリアから帰国し、直後に参加した「生と死を考える会」の総会で、会の顧問として臨席された星野一正先生(当時京都大学名誉教授)にお目にかかり、先生がイタリア旅行をされると伺い、ミラノ国立がんセンター麻酔科のVentafridda教授をご紹介した。その後、星野先生から「生命倫理学会」のご案内をいただき、早稲田大学で開催された「日米バイオエシックス会議」を聴講する機会を得た。会議は早稲田の木村利人教授のイニシアティブで、バイオエシックスと市民という副題がついていたと記憶している。その会議で、鈴木利廣弁護士とCOML辻本好子さんがセッションを開いていらしたが、5年間日本を離れ、イタリアで子育てと緩和ケア活動の市民ボランティアの真似ごとをしていただけの私は、COMLを知らなかった。
 その会議の全体討論で、フロアから素朴な質問をした私を辻本さんは見ていらした。何が縁になるかわからない。詳しい経緯は忘れたが、辻本さんから手紙をいただき、品川で初めてお目にかかった。「模擬患者」という活動を大阪で始めているが、関東圏にも活動を広げたい、従来のCOML「患者塾」とは別の独立した活動として展開するほうがよいと思うので、医療者以外の世話役を探している、それをやってみないか、というお誘いだった。1994年に入っていただろうか。私自身は「模擬患者」の活動を見たことも聞いたこともなかったが、緩和ケアの市民活動での展望も見えなかったので、お引き受けすることにした。その後、大阪での「模擬患者」活動や、大滝純司先生(当時筑波大学)の授業などの見学を繰り返した。それでもまだ、「模擬患者」活動が誰のために、どのように役立つのか、活動には何を準備し整備する必要があるのか、私には明確にならなかった。
   COMLが複合的な活動のひとつとして「模擬患者」活動を行っていたのに対して、私が世話役を引き受け東京SP研究会と名付けたこの活動は「模擬患者」で完結しなければならない。1995年1月17日東京・根津で開催した「説明会」には、朝に発生した阪神大震災のため辻本さんはじめ大阪のスタッフは参加できなかった。そのため東京の医療者教育関係者とCOMLに参加申し込みをした東京近辺の市民だけで最初のスタートを切った。それは結果として、大阪のCOMLとは遠い親戚のような距離をつくり、東京SP研究会は生れた直後から自立を促されたように思う。わからないことだらけでのスタートだったが、医療コミュニケーションの教育そのものも緒に就いたばかりで、カルテ開示やインフォームド・コンセント、セカンドオピニオンなどもごく少数派の意見でしかなかった時代だったので、ゆっくり考え話し合い緩やかに活動の基盤を作る余裕があったのは幸いだった。
   そして歳月が流れ、辻本さんは着実に、国の重要な会議に欠かせない患者・市民代表として存在し続けられた。患者や市民にとっては頼もしい憧れの星であり、医療者にとっては医療への理解をもちつつ建設的な意見を述べる素敵な人であった。辻本さんとCOML がスタッフ、会員の結束を強め、活動をたゆまず充実、拡大される裏には、隠れたご苦労と猛烈なご努力があったのは確かだ。優先順位を後回しになさったものもあったと思う。数年前にご一緒した折に「孫ができたのよ」と微笑まれ、私も嬉しくなった。活動開始当時、まったく収入のなかった私に、カルテ翻訳の仕事をご紹介くださり、その都度メモ用紙に達筆で励ましの言葉をいただいた。些細な用件にも手を抜かず、すべてに目配りを怠らず、にこやかに背筋を伸ばして机に向かう辻本さんの姿は、今もすぐそこに見える。
   最後の地下鉄で私が「国民がもっと元気なうちから医療に関心をもつように仕向けなくては」と言うと「病気にならないと誰も関心をもたない、元気な人を巻き込むのはファッショよ」と言い残して下車された。私の言い方が青臭くて空回りしているのを諌めたいと思われたのか、そんなに単純なことではないと無知な私に苛立たれたのか、ファッショという強い言葉に正直ショックを受けた。そして込められた真意を教えてもらわずに旅立たれてしまわれた。しかし、亡くなられる直前のCOMLブログで辻本好子さんが患者として書かれた文章の中に、できれば元気なうちから医療に関心をもって一緒によくしていこう、というお気持ちを読み取ったように思う。辻本好子さんがつくった大阪COMLにしかできないこと、辻本好子さんに命を与えられた活動がそれぞれにできること、それらが力を合わせてできることを考えていきたい。
   東京SP研究会と私がお世話になったお礼を申し上げ、心からご冥福をお祈りします。

合掌
                                     

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