東京SP研究会

 

2003年  模擬患者大会に寄せて

「対話の契機としての模擬患者」



「対話の契機としての模擬患者」

東京SP研究会代表  佐伯晴子

   東京SP研究会が大阪COMLの模擬患者活動だけを行う東京版として出発して9年になります。患者の立場として、少しでも話のできる医療者に出会いたいという思いが活動の原動力です。裏返して言えばコミュニケーション不在、あるいは患者が人間として大事にされていない現状があり、それを一般市民が深く憂慮し改善を求めているということにほかなりません。「模擬患者」になるということは、医療を批判したり愚痴をこぼしたり、あるいは無関心になったりするのではなく、自らが医療者教育に参加することで、現実は即座に変わらなくても将来何か変わるのではないか、変わってほしい、という願いを託すことなのです。私たちが目指すのは、医療者と患者が対話をし、それによる相互理解と信頼をつくることです。それがあって初めて、患者が主体的に医療サービスを利用し、自分の人生を豊かにすることができると考えるからです。
   もとより、医療サービスは患者のためにあります。患者なくして医療はありえません。ところが現実はどうでしょう? 患者不在を実感することがあまりにも多いのではないでしょうか。そのひとつがコミュニケーションです。患者という人間を医療者が自分とどのような関係としてとらえるかで、彼(彼女)の患者や一般人への態度がきまると感じています。患者の話を聴かない、患者と一緒に考えない、患者のきもちを配慮しない、患者がわかる説明をしない、というのが医療の現状であるのは誰も否定しないでしょう。
   しかし、それだけでなく、今回お話したいのは、医療者教育の現場で教育者と「模擬患者」という一般人とのかかわりに、患者不在の患者医療者関係がそのまま当てはめられている現実です。古いパターナリズムと言ってもいいでしょう。もちろん「教育資源」:便利で忠実な道具として40年ほども以前の海外で開発され「利用」されたのですから、当初の理念だけが鵜呑みにされても不思議はないのかも知れません。ただ、日本国民の7割が医療のコミュニケーション不足、患者不在を問題にしている現実をまえにして、渡来当時のモデルでの「模擬患者を用いた(使った)教育」という発想には、私は違和感を覚えます。あるいは、この現実を打開するために教育者は何か行動を起こしているのでしょうか?
   みずから行動を起こさざるを得ない患者の立場の一般人が「模擬患者」をすることで、医療者教育に「患者中心」という発想が根づくことを切に願います。医療者が医療の主語を“患者さん”に置き、人と人としての対話が行えるようになることが、私たちの国で今、最も必要なことではないでしょうか。そして患者と医療者との相互理解と信頼が一番大事にされる医療を、患者医療者を含めた国民全体の手で未来の世代に残していくのが、現代の課題です。そのための対話の契機として模擬患者活動の現実を見つめたいと思います。




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